PDF:イエス復活祭並びに春季大祭_教主様聖言

 

於:グランドニッコー東京 台場(パレロワイヤル)

 

本日は、「イエス復活祭並びに春季大祭」おめでとうございます。
 本日の祭典行事につきましては、ここ「グランドニッコー東京 台場」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。

 

明主様がイエス・キリストについてお詠みになった御歌の中に、次のような御歌があります。
 「キリストは黄金の国に再臨の残して昇天されにき」
 「盗人きたるごとキリストは黄金の国にはや天降りませり」
 「キリストの再臨の謎けぬらんメシアの出づる時のぬれば」
 明主様は、こうした御歌を始め、数々の聖言を通して、ご自身がイエス・キリストの再臨であることを示唆しておられます。
 神は、私ども人類がわされた罪のいのために、イエスを十字架にかけ、死の世界にお遣わしになることによって、私どもの死の世界にわれていた姿、死んだ者のようになっていた姿をみてくださいました。
 そして、イエスの血汐と御霊をお受け取りになるとともに、私どもの罪の赦しを乞う、とりなしの祈りをお聞き届けになり、イエスを死の世界から甦らせ、神の子たるメシアとして復活させ、永遠の生命をお授けになりました。
 神がイエスを復活させられたのは、私どもを再び生きた者として甦らせるためであります。
 イエスは、私ども人類の先駆けとして、神の子たるメシアとして復活したのです。
 ここで問題なのは、イエスはどこで復活したのかということであります。
 明主様は、ご自身の中でイエスが復活したことを、事実として確信するに至られました。
 だからこそ、明主様は、ご自身のことを「再臨のキリスト」と仰せになったのではないかと思えてなりません。
 私どもはどうでしょう。
 私どもも、明主様と同じように、私ども一人ひとりの中で、イエスは復活したのであります。
なぜならば、私どもの意識の中心には天国があり、その天国に父なる神がおられ、イエスがおられるからであります。そして、イエスを信じられた明主様がおられるからであります。
 私どもは、イエスと共に死に、イエスと共に甦らせていただいたのです。明主様と共に甦らせていただいたのです。
 イエスの復活は、私どもが死んだ者となるか、生きた者となるか、一人ひとりにとって決定的な意味を持つものであります。
 私どもは一人ひとり、神に対し、〝わたしの中でイエスは復活したのですね〟と申し上げることができるものにならなければならないと思います。

 

神は、すべての原因の世界である天国において、ご自身の子を生むという創造のみ旨を宿した御霊をメシアと名付け、世にお遣わしになりました。
 このことに関して、明主様は御歌に、
 「いやはてによりるキリストに世のもろもろは甦るらむ」とお詠みになりました。
 キリストという名前は、ヘブライ語であるメシアのギリシャ語訳を日本語としたものです。
 また、「万民の悩み苦しみもなき世ぞ救はむと救主天降りぬ」ともお詠みになりました。
 私どもの中には、メシアという御霊が存在しております。
 天から世にったのは、私ども自身であります。
 御歌に「世のもろもろは甦るらむ」とありますように、私どもは、死の世界にいるすべての存在を甦らせるみ業にお仕えするために世に降ったのです。
 だからこそ、私どもは、目に見えるもの、形あるもののみに心奪われ、人は必ず死ぬという、死に対する囚われや不安、恐怖を感じさせていただいているのです。
 また、御歌に、「万民の悩み苦しみ涯もなき世ぞ救はむ」とありますように、私どもは、人類を悩み苦しみから救うみ業にお仕えするために世に降ったのです。
 だからこそ、私どもは、様々な悩み苦しみを味わわせていただいているのです。
 私どもは、神に心を向けることよりも、自分の価値を高めようとする思い、そして、権勢、権力、支配、所有、優越性という、すべてをのものとする自分に気づかされます。
 それは、神のみ旨から離れ、神に対して負い目を負っている人類の姿であります。
 私どもは、その負い目を担わされた人類を、贖われ、赦された者として解放し、天国に迎え入れるみ業にお仕えするために世に降ったのであります。
 私どもは、何と恵みい神にお仕えさせていただいているのでしょう。

 

世は、私どものため、私どもが現れるためにあるのではありません。
 世は、神のため、神が現れるために存在しているのです。
 私どもは、世に遣わされる前、天国において神にお仕えしておりました。
 神の子たるメシアを生むという創造のみ旨のもとにお仕えしておりました。
 私どもは、創造のみ旨を成し遂げるために、世を救い、地球を救い出すという使命を賜って、地球に遣わされたのです。
 救いの源は、天国にあります。
 その天国に立ち返る道は、メシアの御名とイエス・キリストの血汐であります。
 私どもは、天国に立ち返る道を賜って世に遣わされているのです。
 この道を持たせていただいている私どもは、神に対して、たとえば、〝わたしは、わたしの全身細胞と思いの中におられる全人類とその父母先祖の方々と共に、万物と共に、イエス・キリストの尊い御血汐によって、贖われ、赦され、救われて、新しい生命の中に甦らせてくださったのですね〟と申し上げ、〝メシアの御名にあって、すべてのものと共に天国に立ち返らせていただきますので、吐く息と吸う息のうちに、み旨を成し遂げてくださいますように〟と、自らを神に捧げさせていただく務めがあると思います。

 

このように、想念と息をもって、神の救いのみ業にお仕えする上で大切なことは、自らが天国に属する者であるという自覚を持つことであります。
 だからこそ、明主様は、人類が自らの中に天国が存在することに目覚め、その天国に心を向けてほしいと思われたに違いありません。
 この思いは、イエスの思いであり、また、神の思いであると思います。
 その思いをもって、明主様は、天国の写しとして、地上の聖地のご造営に熱い情熱を注がれました。
 私どもは、その情熱あふれるみ心にお応えすべく、世界メシア教として、の聖地建設開始の宣言に基づく「メシア聖堂」の建設に向けて、全信徒一丸となって精一杯努め、天国で成し遂げられた福音をすべてのものに分け与える聖徒としての御用にお仕えさせていただきましょう。
 また、キリスト教と呼応して救いを成し遂げていくと断言された明主様のみ心を継承すべく、「メシア降誕本祝典」1周年を迎える、615日には、「メシア降誕祭」を執り行わせていただきます。
 本年の立春祭において、「世界メシア教」復活3周年を迎えた私どもは、メシアの御名を唱えることをお許しくださった神に感謝し、一人ひとりのうちにメシア降誕を成し遂げようとしておられる神に、すべてのものと共にお仕えさせていただきましょう。
 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。
 ありがとうございました。