教主様が深い信頼をおかれ、真明様の師であられた故渡辺哲男先生。今年2023年10月5日には先生の十年祭を迎える。世界メシア教はこの節目の年にあたり、先生に「特別相談役」を追贈することを決定した。

先生は、明主様を信仰する我々にとって、なぜ「教主様のお心と一つになる」ことが大切なのかをこの上なく明確に遺してくださっている。

昔は、皆が明主様帰一だったんです。教団を離脱して行った人たちも明主様に帰一して離脱してしまったんです。この長い教団浄化もそれぞれが明主様に帰一しているつもりでバラバラになったんです。それは、「明主様に帰一しているんだ」「私は明主様中心だ」ということは誰でも言えるんです。だって明主様は「してないぞ」とは言われないから。「まだだぞ」とも言われない。だから勝手に自分たちに都合のいい解釈をしながら、「我々こそが正しいんだ」「我々こそが正しいんだ」と言って、正しいのがいくつもできて争いが起きたということですね。…離脱して行った人々には、教主様は必要でなかったんです。だから離脱して行ったんです。自分たち一人ひとりが『教主様』になったんです。教主様はこのように離脱することを願っていたんですか?もちろん願ってはおられなかったんです。それでも離脱して行った。…その後、大きな教団浄化、20年にもおよぶ教団浄化、これもなぜそれが起こったのか。よく突き詰めていけば、教主様がおられても教主様不在だったんです。教主様を中心に置いていなかったからなんです。だからそれぞれがそれぞれの解釈で「我々こそが正しいんだ」と言う中で争いが起こったんです。…多くの人は、「本当に明主様に帰一さえすれば、教主様の願いや心と一体になれる」と言うんです。私はそう言わない。私は「教主様の心と一つになる、教主様の願いを願いとする我々になり得れば、明主様に帰一が許される」と、こう言っているんです。この二つ、同じように聞こえますね。「明主様の御教えとご事蹟を求めて、明主様の御教えさえ学んでいけば、教主様の心と一つになれる」というのと、「教主様の願いを我々が理解させていただく。そして教主様の心と一つになったら明主様に帰一する道が与えられる」と思うのとでは、私は大きな違いがあると思うんです。…現界経綸の中心におられる教主様ですから、教主様ははっきり言ってくださるんです。「教主様、これでは間違いでしょうか。どうでしょうか」と、教主様は、「あっそこ違いますね」。我々も「一つになったでしょうか」と言うと、「まだまだ」と言われる。これ、明主様にいくらお聞きしても明主様の声がなかなか聞こえてこない。だから現界経綸の中心は教主様なんですね。

2008年2月10日 渡辺先生お話(抜粋)

渡辺先生はこの信念のもと教主様のお心を自分の心とし、教主様の願いを自分の願いとし、教主様中心の神業体制の確立に全身全霊を打ち込まれた。先生のこの思いは今、他ならぬ世界メシア教にこそ力強く息づいている。否、我々だけが先生の思いを受け継ぐことを許されている、と言っても過言ではない。我々はその自負を強く持ち、教主様中心の信仰を貫かれた先生の跡を慕い、その生涯をここに顕彰する。

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