五月度月次祭
2023年5月1日
御歌
明主様に出会ひて心救はれぬ生くる望みを見出しにけり
唯一の神とメシアの真実を知るに至りし恵みぞ大き
畏くもひとたび知りし真実を己が内よりなど消し得べき
有り難し我と等しく真実に目覚めし信徒の数多いませり
明主様の説きし救ひの神髄を世に伝へむと励む信徒よ
すべて教主様御歌
明主様聖言
世界人たれ 昭和26年10月3日
之からの人間は、世界人にならなければ駄目だ。之に就て面白い話がある。終戦直後或軍人上りの人が私の処へ来て、憤懣に堪えない面持で『今度の降伏はどう考えても分らない、実に怪しからん』と言って、憤慨しながら話かけるのだが、私の方はサッパリ気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く『先生は日本人ですか』と質くから、即座に『私は日本人じゃない』と答えると、彼はギョッとして、震え乍ら『では何処の国の人間ですか』と質き返えすので、私は言ってやった。『つまり世界人なんですよ』其言葉に、彼はポカンと気の抜けたような顔をして、其意味の納得のゆくまで、説明して呉れろと言うので、私も色々話してやったが、今それを土台にしてかいてみよう。
元来日本人とか、支那人とか言って差別をつけるのが第一間違っている。アノ頃の日本人がそれで、日清、日露の二回の戦役に勝ち、急に一等国の仲間入りをしたので逆上せ上り、日本は神国なりなどと、何か特別の国のように思ったり、思わせたりして、遂にアノような戦争迄引き起したのである。そんな訳だから、他国民を犬猫のように侮蔑し、其国の人間を殺すなど何とも思わず、思いのままに他国を荒し廻ったので、遂に今日のような敗戦の憂き目を見る事になったのである。其様に自分の国さえよけりゃ、人の国などどうなってもいいという様な思想がある限り、到底世界の平和は望めないのである。之を日本の国だけとして例えてみても分る。恰度県と県との争いのようなものとしたら、日本内の事であるから、言わば兄弟同志の食み合いで、簡単に型がつくに決っている。此道理を世界的に押拡げればいいのである。彼の明治大帝の御製にある有名な〝四方の海みな同胞と思ふ世に、など波風の立ち騒ぐらむ〟即ち之である。みんな此考えになれば、明日からでも世界平和は成立つのである。全人類が右のような広い気持になったとしたら、世界中どの国も内輪同志という訳で、戦争など起りよう訳がないではないか。此理によって今日でも何々主義、何々思想などといって、其仲間のグループを作り、他を仇のように思ったり、ヤレ国是だとか、何国魂 とか、何々国家主義だとか、神国などと言って、一人よがりの思想が、其国を過らせるのみか、世界平和の妨害ともなるのである。だから此際少なく共日本人全体は、今度の講和を記念として、世界人となり、今迄の小乗的考えを揚棄し、大乗的考えになる事である。之が今後の世界に於ける、最も進歩的思想であって、世界はこの種の人間を必要とするのである。話は違うが宗教などもそれと同じで、何々教だとか、何々宗、何々派などといって、派閥など作るのは、最早時代遅れである。処が自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して、触るるななどというケチな考えは聊かもない。反って触るるのを喜ぶ位である。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家の如くする平和主義であるからで、此意味に於て、本教では如何なる宗教でも、仲間同志と心得、お互に手を携え、仲良く進もうとするのである。
『栄光』124号
聖書
「ヨハネによる福音書」第8章31節~47節
イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハム*の子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。
* イスラエル民族の始祖であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信仰の父。
『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)
※注釈は世界メシア教によるもの。