真理と言うのは一つしかない

 

〔明主様〕
 為郷氏
明主様之はどんなものでしょうか、大分前から疑問に思って居りました事ですが、真理とか、正しい教えとか言うものは、世の中には一つしかないのではないでしょうか。

明主様
無論そうです。真理と言うのは一つしかないのです。

1952年10月22日「為郷恒淳氏との御対談 一厘の神様のお仕組とは?」

 

〔聖書〕
 しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。…
 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
「コリント人への第一の手紙」第2章6節~8節、第15章50節~58節

 

〔教主様〕
 さて、教団は今、大きく変遷しております。
 明主様は、経綸は時代相応に変遷するのが本当であるとお述べになりました。
 私どもは、聖地の建設、メシア聖堂の建設を開始することになりました。キリスト教の三大祝日を教団の祭日と定め、御生誕祭並びにイエス聖誕祭を執り行わせていただきました。今年の地上天国祭をメシア降誕祭といたしました。また、コーラス・メシアを始め、音楽活動を更に充実させようとしております。その他、様々な取り組みを始めることになりました。
 教団が今、大きく変遷しているのは、明主様のみ心を真に受け継ぐべく進ませていただくためであります。
 そして、その変遷を生じさせている源は、明主様と共にある神、イエス・キリストと共にある神であられます。
 神様は、こうした変遷を通して、私どもを少しでも真理に近づかせようとご努力くださっています。
 明主様は、「真理は永久不変である」と仰せになりました。
 変遷し、変化するものの中に、変化しないもの、変わらないもの、すなわち、真理が貫いています。
 神様が私どもをご自身の子供とするということは、永久に変わることのない真理であります。
 その永久に変わることのない真理を、神様は、私ども一人ひとりの中に置いてくださいました。
2023年1月1日「年賀のご挨拶」

 

〔真明様〕

何気なく宣る我言霊の
    節々に神秘の謎の含まれゐるなり

一見分かりやすく書かれているその聖言の中に、神様の底知れぬほど深い真理の謎が、神秘が、奥義が潜んでいるのです。なんと畏れ多いことでありましょうか。今までの私たちの御教えの理解は、否、聖言の理解は、なんと浅かったことでありましょうか。
 では、聖言はまったく理解できませんでした、ということで終わりなのでしょうか。人智を超越した聖言を紐解く鍵は、もはや存在しない、ということなのでしょうか。聖言の神秘の扉を開く鍵は、無いということなのでしょうか。
 決してそうではありません。
 明主様は、

万教を開く御鍵は早已に
    神の御国に具はりしならめ

と宣べておられます。
 あらゆる教えを開くその尊い鍵は、すでに、神の御国に──天国に、この地上ではなく天国に──具わっているんだとおっしゃる。準備してあるんだとおっしゃる。
 教主様は、

御教えもご事蹟も、その始まりは天界にある

と断言しておられます。
 今引用しました御歌に込められている神秘を、一言にして、明快に説き明かしておられます。
 そして教主様は、

人間の理解や認識を越えて、私どもの思いを天界に立ち返らせていただいて、そこで明主様の生きた御教えに触れさせていただき、キャッチさせていただき、そして、味わわせていただきたい

と願うべきなんだとおっしゃる。
 天国に、御国に上らせていただいて初めて、明主様の御教えの真実に触れさせていただけるんだとおっしゃる。
 果たして誰が、今まで、今引用した御歌に秘められた謎を解かれたでしょうか。
 「御教えは天界にある」という奥義を、誰が今まで私たちに教えてくださったのでしょうか。
 畏れ多いことですが、私は、教主様がこのような認識に──明主様と同じ認識に──至ることができたのは、それは、人間ではなく、教主様の中に生きていらっしゃる明主様のみ力によるものだと思わざるを得ません。
 明主様が、教主様を通して、人智を超越した聖言の真の意味を、今、私たちに教え導いてくださっているのだと思えてなりません。

理屈もて説けぬ神秘を明らかに
     するこそ真の教なるらむ

と明主様がおっしゃるように、明主様が遺された神秘を明らかにしてくださっているのが、教主様のご教導なのではないでしょうか。教主様が今、明主様の真の教えを、聖言を、私たちに伝えてくださっているのではないでしょうか。
2020年6月15日「時空を貫く明主様の聖言」

 

教会誌『グローリー』No. 41, 2023/6月号掲載
聖書出典:『口語訳聖書 1954/1955年改訳』(日本聖書協会)