メシア降誕祭 ~本祝典1周年記念祝典~

2023年6月15日

 

御歌

眼に見えぬ一つの魂が大自然の恵みによりて人となるなり  明主様

万人を救ふといふは永遠の生命の道を諭ゆるにあり  明主様

永久に人の生命はあるものと知りて初めて人たる人なり  明主様

永遠の生命の幸を作れかし此現世に生くる間に  明主様

永遠の生命の幸は神の子と新たに生まるる喜びなるかな  教主様

目に見ゆる息は絶えても目に見えぬ神の息こそ永遠にして  教主様

有限の命のみ知るこの我に明主様は示しぬ無限の命を  教主様

 

聖書

「創世記」第1章3節~5節、第1章26節~第2章7節、第3章 20節~22節

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。…

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

これが天地創造の由来である。

主なる神が地と天とを造られた時、地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。…

さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。

『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)

 

明主様聖言

自然療法 昭和10年

元来、人間なる物は、神が造り給うた、森羅万象の中に於て、他に比ぶべき物なき最高の芸術品とも謂うべきものである。神に似せて造ったという聖書の言葉は、確かに真理である。故に、その霊妙不可思議なる構造たるや、到底科学などに依って解明せらるべきものではない。唯極表面又は一部分のみが漸く科学に依って知り得た位のものであるから、科学に依って解決するには、今後、幾千年を要するか、又は結局解決出来得ないかは断言出来ないのである。少し落着いて考えてみるがいい。人間の四肢五体の働きは勿論の事であるが、微妙なる意志想念の動き、喜怒哀楽等の心の表現、蚤の歯で喰ってさえ痒くって堪らない程の神経の敏感、舌一枚で、凡ゆる意志を伝え、その舌が又凡ゆる飲食を味わい、又世界の人類十八億をみても、一尺*に足らない顔が尽く違うという不思議さ、それ等諸々の事を考えた丈でも、造物主の創作力に対し、讃嘆せずにはおられない。特に、生殖作用に到っては、一個の人間を創造さるる過程の神秘さは、言葉に絶するものがある。

 約 30.3センチメートル。
『日本医術講義録』
※抜粋