〝世の救いのため、メシアである「あなた」が 「わたし」の中で出てくださいますように。現れてくださいますように。生まれてくださいますように〟

〔明主様〕
 ずいぶん若くなってるよ私の方は──メシア降誕と言ってね、メシアが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね。ところが、年寄りになって生まれるのは変ですが、いちばんおもしろいのは、皮膚が赤ん坊のように柔かくなる。それからこのとおり、髪の毛が生まれたてと同じような──床屋がこれを見て、子どもの頭髪だと言うんです。だんだん白いのがなくなって、黒いのばかりです。いまに黒髪になりますよ。だから、神様はおおいに若返れと、そして、仕事をしなきゃならんというわけなんです。
 それで、今度のことについては、もう奇蹟っていうどころじゃない、奇蹟以上の奇蹟がたくさんあったんですけども、さしつかえない点だけはだんだん発表します。
 それで、このメシアというのは、世界中で最高の位なんです。西洋では王の王ということになってますが。キングオブキングスと言ってその位をもってるんです。だから、私が出てはじめて人類は救われるのです。たいへんな事件なんです。それで、いろいろ話がしたいけれども、何しろまだ生まれたての赤ん坊なんですから、あんまり面倒くさいと嫌で、簡単に、要点だけを話をしたつもりです。また、この十五日にもっと詳しい話ができると思いますので、きょうはこのへんにして──。
1954年6月5日「至聖言」

 

〔聖書〕
 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。
 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。
 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
  「人はみな草のごとく、
  その栄華はみな草の花に似ている。
  草は枯れ、花は散る。
  しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。
これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。
「ペテロの第一の手紙」第1章3節~25節

 

〔教主様〕
 主神は、イエスが捧げた血を、過去現在未来にわたる全人類の罪を贖う、贖いの血汐としてお受け取りになり、全人類を赦し、罪なきものとし、イエスを死人の中から甦らせ、神の子たるキリスト、すなわち、メシアとされました。
 全人類は、主神がその限りない愛をもってお遣わしになったイエスの贖いの血汐によって、罪赦されたものとなったのです。
 主神は、全人類が過去現在未来にわたって、贖われ、赦されたものとして、天国に立ち返ることのできるように道を整えてくださったのです。
 このことは、主神の創造の営みの大転換であり、全人類にとって計り知れないほど大きな恵みであります。
 この大転換によって、主神の創造の営みは、天地万物一切をお使いになって、一人ひとりの自我の心を造るという第一段階の創造から、一人ひとりを天国に迎え入れ、ご自身の意識と融合して、ご自身の意識を継承するものとなし、ご自身と共に永遠に生きる子供とするという第二段階の創造に入りました。
 主神は、堂々巡りする私どもの人生にピリオドを打ってくださったのです。
 私どもの自我の心は、すでに、贖われ、赦されたものとされて、主神に迎え入れられ、主神が全人類をご自身の子供とするという第二段階の創造の中で養い育てられているのです。
 全人類がこの新しい第二段階の創造の中で養い育てられていることを、明主様は「霊界の夜昼転換」としてお受けになり、この恵みを私どもを通して全人類に告げ知らせようとしておられるのではないか、と私は思います。
2020年2月4日「世界メシア教 立春祭」

 

〔真明様〕
 このあと、ハレルヤコーラスのあとに演奏する祭典の最後の曲のタイトルは、「あなたがわたしになる」。これは、私が作詞したんですけれども、「あなたがわたしになる」んですよ。神様が「私」になってくださるんです。
 神様は、「あなたになっていいか」と聞いてきておられるんです。「あなたになっていいか」「それともあなたは自分で生きたいか」と、そう聞いてきておられる。
 なっていただいたほうがいいに決まってますよ。だって我々は、もう朽ちていくべき存在、罪の重荷をしょってて、もう救いようの無い存在ですよ。有限の存在。でもこの有限の存在である我々が、永遠である神様と一つになれば、それは栄光ですよ。栄光ある存在ですよ。
 そうじゃなければ、長く生きたって、もう80、90歳で終わっちゃいますよ。後悔と、少しくらいは良いことしたかな、でもう人生終わり。そんなことでいいはずないじゃないですか、我々全人類が。
 だから、もし、人間にとっての喜びとか幸せが本当に存在するのだとしたら、それは、神様が私になってくださること、それ以外にはないんです。
2022年6月15日「メシア降誕本祝典」

 

教会誌『グローリー』No. 42, 2023/7月号掲載
 聖書出典:『口語訳聖書 1954/1955年改訳』(日本聖書協会)