PDF:祖霊大祭_教主様聖言
於:グランドニッコー東京 台場(パレロワイヤル)
本日は、「世界メシア教 祖霊大祭」おめでとうございます。
本日の祭典行事につきましては、ここ「グランドニッコー東京 台場」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
私どもは、本日のように年に一度、祖霊大祭を執り行い、また、年間を通して、年祭や慰霊祭を始め、先祖の方々に関わる様々なみまつりを執り行わせていただいております。
それは、神様が先祖の方々を顧みてくださっているからであります。
神様は、先祖の方々を、贖われ、赦されたものとして、再び天国に迎え入れるという救いのみ業をなさっておられます。
その神様は、私どもの中におられます。私どもの意識の中心におられます。
先祖の方々も、私どもの中におられます。私どもの全身の細胞の中に遺伝情報として、また、私どもの思いの中におられます。
神様は、先祖の方々を救うみ業を、私どもの中で行っておられるのです。
私どもの思いをお使いになって救っておられるのです。
だからこそ、神様は、私どもが先祖の方々のみまつりを執り行うことを、お許しくださっているのではないでしょうか。
私どもは、目に見える現象の世界にいるために、先祖の方々は、息が途絶え、生命が絶えてしまったと思い込んでいました。
私どもの思いが造り出した、この世とは別の、霊界と呼ばれる死後の世界におられると考えていました。
私どもは、死という思いに囚われたまま、日々を過ごしていたように思います。
しかしながら、神様は、先祖の方々を死んだ者とはご覧になっておられません。
神様は、創造主であられます。
神様は、ご自身がお創りになったすべてのものの中に生きておられるのですから、この世を去った先祖の方々は、生きておられます。
私どもは、生物と無生物とを分けて考えますが、無生物と言われる存在も生きています。生命の無い物など存在しません。
あらゆる元素は、また、元素から成るすべてのものは、神様の永遠の生命に満たされているのです。
明主様は、「凡ゆる生物は呼吸しているという事は誰も知っているが、実は植物も鉱物も其の他万有は悉く呼吸している」とお述べになりました。
「万有は呼吸している」ということは、万物一切は、生き生きと生きているということではないでしょうか。
「生きとし生けるもの」という言葉は、この世に生きているすべてのもののことですが、明主様にとって、万物も先祖の方々も、この「生きとし生けるもの」なのではないでしょうか。
このことを、私は、明主様の次のような御歌を通して味わわせていただいております。
「現世の生きとし生けるもの悉は神の恵みに漏るるはあらじな」
「大神の任しのままに吾は今生きとし生ける物みな救はむ」
「天ヶ下生きとし生けるものみなの歓ぎ喜ぶ天国造らむ」
また、イエス・キリストは、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」(「マルコによる福音書」第12章27節)と言われました。
この言葉を通しても、誰一人として死んだ者はいない、と受けとめることができるのではないでしょうか。
私どもは、先祖の方々あっての今の私どもであります。
その先祖の方々は、私どもの中で、どのように生きておられるのでしょうか。
先祖の方々は、自分が天国で生まれ、天国で神様にお仕えしていたことを、私ども同様、この世に生まれ出てきた時に忘れてしまいました。
限りある生命、すなわち、死という思いに囚われたまま、懸命に生きてこられました。
そして今も、神様から養い育てられながら、私どもを通して天国に帰りたい、救いに与りたいと願っておられます。
私どもは、そうした先祖の方々を始め、全人類を天国に迎え入れ、神の子たるメシアとして新しく生まれさせるという、真の救いのみ業にお仕えするために世に遣わされたのです。
ですから、私どもは、先祖の方々と一体の存在であることを認めるとともに、神様に対して、〝先祖の方々がまず先に、新しく生まれることができますようお使いください〟と申し上げるべきではないでしょうか。
私は、神様は、限りなく愛情深いお方であると同時に、大変厳しいお方であると思います。
神様は、私どもをご自身の子どもとするために、大きな愛をもって、私どもの中にご自身の意識を用意してくださいました。
その神様の意識を、私どもは、神様から禁じられているにもかかわらず、自分のものとしてしまいました。
それをご覧になった神様は、私どもに厳しく臨まれ、私どもを神に背いた罪から免れ得ない者とされました。
しかしながら、そのような罪を負った私どもであっても、神様は、私どもの真の生命の親として、私どもを顧みてくださいました。
神様は、私どもに赦しを与えるために、イエスをご自身に代わる者として世にお遣わしになり、十字架におかけになりました。
ご自身の大切なイエスを十字架にかけてまでも、私どもの罪を贖い、私どもに赦しをお与えにならなければならなかった、その神様の思いを人間の知恵で推し量ることは、容易ではないと思います。
神様は、イエスにその血汐を捧げさせることによって、過去現在未来にわたる私ども全人類の罪を贖い、赦してくださいました。
更には、イエスを復活させることによって、私ども一人ひとりがメシアとして新しく生まれ、神様の意識を継承する子どもとなる道を整えてくださいました。
これらのことを通して、私は、神様は何と恵み深く、また、厳しいお方なのだろうか、と思わざるを得ないのであります。
ただし、その厳しさは、あくまでも、私どもを真実に目覚めさせ、養い育てるための神様の愛であることを、心に留めておく必要があると思います。
その神様の深い愛をもって、明主様は、イエスと同様に、「悔い改め」をお説きになり、御歌に「如何ならむ罪も赦させ如何ならむ罪も尤むる天地の神」とお詠みになって、私どもを導いてくださっていたのではないでしょうか。
私は、この御歌を通して、私どもが神様を信頼し、自らの罪を素直に認めるよう神様が強く願っておられる、と感じざるを得ません。
神様の思いは計り難く、自分の思いは、神様の思いとは似ても似つかない、と私どもは感じております。
しかしながら、神様の目的は、私どもをご自身に似た子どもとすることであります。
私どもは、創造の始まりの天国において、神様の思いをお受けしておりました。そして、その思いのもとに、神様にお仕えしておりました。
私どもは、今も意識の中心に、神様の思いを持たせていただいているのです。
神様は、私どもと思いを通わせ、私どもをご自身に融合しようと、一生懸命ご努力くださっています。
その御心にお応えして、私どもは、神様に常に心を向けることが大切であると思います。
神様に心を向けること、それは言葉としては簡単ですが、世に送り出された私どもにとって、日々直面する様々な状況の中で、神様に心を向け、その御心を尋ね求めることは、大変難しいことであります。
だからこそ、神様は、あらかじめ私どもの中に、創造のみ旨が込められたメシアの御名と、復活したイエスの黄金の血汐を用意してくださったのではないでしょうか。
私どもは、メシアの御名と御血汐をお受けした者であること、そして、天国に立ち返らせていただいた者であることを認め、神様の思いに少しでも近づかせていただき、神様の思いと一つにならせていただきたいと願うべきではないでしょうか。
明主様は、一人でも多くの人々が自らに内在する天国に目覚め、神様に心を向けることができるようにと、天国の写しとして、地上の聖地のご造営に全身全霊を注がれました。
私ども明主様の聖徒一同、明主様の尊いみ心を受け継がせていただき、天国の写しとしての「メシア聖堂」の建設という、栄光輝く救いのみ業に、希望と喜びをもって、精一杯お仕えさせていただきましょう。
そして、メシアの御名の教会の一員として世に遣わされた者であるとの自覚を持って、先祖を始め、多くの方々を天国に迎え入れ、希望と喜びをすべてのものに分け与える御用にお仕えさせていただきましょう。
そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。
ありがとうございました。