PDF:秋季大祭_教主様聖言

 

於:ホテルニューオータニ大阪(鳳凰)

 

本日は、「世界メシア教 秋季大祭」おめでとうございます。
 本日の祭典行事につきましては、ここ「ホテルニューオータニ大阪」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「ホテルニューオータニ大阪」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。

 

明主様は、人間には、幽魂と現魂という二つの魂が存在することをお説きになりました。
 私どもは、世に生まれる前、創造の始まりの天国にいたのですから、幽魂と言われる魂も、現魂と言われる魂も、天国に存在していた、と私は思います。
 私どもは、現象の世界においては、男性となったり、女性となったりしていますが、天国は、男性と女性とに分かれる前の世界でありますから、私どもは、天国においては、男でも女でもなかったのです。
 男性である父性の魂と、女性である母性の魂との二つの魂が、一対の魂として、私どもの中に存在していたのです。
 この父性母性一対の魂のどちらか一方の魂が、創造された現象の世界に、現魂として送り出されることによって、私どもは、男性になったり、女性になったりしているのであります。
 ですから、父性の魂が現象の世界に送り出されて男性となった人の場合は、その人の中心に存在する天国に、母性の魂が幽魂として残っており、その反対に、母性の魂が現象の世界に送り出されて女性となった人の場合は、その人の中の天国には、父性の魂が幽魂として残っているのであります。
 そして、私どもは、世においては、男性と女性とが一つに結ばれて、子どもが生まれますが、神様は、私どもをご自身と一つに結び、私どもの中でご自身の子どもをお生みになろうとしておられるのであります。
 神様は、私どもをご自身と一つに結ぶために、私ども一人ひとりに対して、文字通り老若男女を問わず、天国に立ち返ってくるようにと、常に呼びかけてくださっています。
 その呼びかけに対して、私どもは、自分が神様の生命の現れであることをまず認め、自分が女性であれば、地上で母性の魂を持たされた者として、父性の魂が存在する天国に立ち返って、父性母性一対の魂にならせていただきます、とお返事し、その反対に、自分が男性であれば、地上で父性の魂を持たされた者として、母性の魂が存在する天国に立ち返って、父性母性一対の魂にならせていただきます、とお返事させていただいたほうがよいと思います。
 そして、父性の魂と母性の魂が揃った姿で、神様のみ前に立たせていただき、〝あなたの生命をわたしに託してくださって、わたしは人とならせていただいたのですね。そして今、あなたのみもとに帰ってまいりました。み心であれば、あなたの一つ体としてくださいますように〟と申し上げること、それが立ち返るということであると思います。
 神様は、そうした私どもの姿をご覧になって、よしとされれば、父性と母性の魂が一対となった私どもの中に、畏れ多いことに、メシアと名付けられたご自身の子どもをお生みになってくださるのであります。
 このことが、メシアとして新しく生まれる、ということであると思います。
 そのために、神様は、私ども一人ひとりの中に存在する二つの魂としてお働きくださり、私どもを、神様の子どもを受胎する者とすべく養い育てておられるのであります。

 

神様は、ご自身の子を生むという創造のみ旨を成し遂げ、私どもをご自身の表現の体とするために、私どもを必要としておられるのです。
 神様が私どもを世にお遣わしになったのは、そのためです。
 私ども人間は、傲慢なことに、一人ひとりの働きや優劣を自分の尺度で判断し、評価し、神様によって遣わされたと言えるか否かなどと、人間の知恵で区別してしまいます。
 しかしながら、誰であろうと、世にいる以上、神様によって遣わされているのです。
 神様によって遣わされていない人など、一人もいないのです。
 ですから、私どもは、自分の中に、相手の中に、すべての人々の中に、そして、万物の中に、神様が働いておられることを認め、何事についても、〝すべてのものと共に〟という思いを持たせていただくことが大切なのではないでしょうか。
 人間は、神様によって世に遣わされているのですから、自分が現れるために世にいるのではありません。神様が現れるために世にいるのです。
 人間が神様になるのではありません。神様が現れ、神様が一人ひとりにとっての〝わたし〟という存在になるために世にいるのです。
 ですから、ある特定の人物を祭り上げ、崇拝し、神格化することは、慎むべきであると思います。

 

また、人は、自分が神様の御用にお使いいただいている実感がないと言います。
 しかしながら、神様は、私どもを養い育てながら、常にお使いくださっているに違いありません。
 自分が今、呼吸をしていると感じられたら、それが神様を実感していることではないでしょうか。
 自分が、見たり聞いたり感じたり、思い巡らしていると思えたら、それが神様を実感していることではないでしょうか。
 神様は、ご自身の創造のみ旨を成し遂げるために、一人ひとり、どんな時でも、息と共にお使いくださっているのです。
 人は、自分にとって都合のよい実感、自分を満足させるような実感を求めているのではないでしょうか。

 

神様は、このような無知で傲慢な思いに囚われた人類に救いをもたらすために、私どもを、メシアの御名の教会の一員として、明主様の聖徒として世にお遣わしになりました。
 そして、明主様を通して、私どもにメシアの御名とイエスという存在を知らせてくださいました。
 神様は、私どもをイエスの捧げた血汐によって、贖われ、赦され、天国に立ち返った者とみなしてくださり、私どもの思いをお使いになって、多くの方々を天国に迎え入れ、今までの心を新しい心に造り替え、未来を創造するみ業をなさっておられます。
 このみ業を成し遂げるために、神様は今、私どもに対して、多くの人々のためにとりなしをする業に仕えてほしいと願っておられます。
 だからこそ、神様は、良くも悪くも、多くの人々と先祖の方々の様々な思いを、私どもの思いの中に集めてくださり、あたかも自分の思いであるかのように、私どもに感じさせてくださっているのではないでしょうか。
 私どもは、神様の願いにお応えし、神様がイエスを通して、人類の罪を贖い、赦し、今日までの心の営みにピリオドを打ってくださったことを認め、メシアの御名にある天国の教会に、すべてのものと共に迎え入れてくださいますように、そして、新しい心に造り替えてくださいますように、と神様に委ねさせていただく務めがあると思います。

 

救いの源は、天国にあります。
 神様は、全人類に対し、自分が元々天国に生まれ、天国にいたことを思い出してほしい、そして今も、その天国が自分の中にあることを認めてほしい、と願っておられます。
 その神様の思いを明主様は継承されて、人々が自らの中に存在する天国に少しでも心を向けることができるようにと、その天国の写しとして、地上の聖地のご造営に熱い情熱を注がれました。
 その尊いみ心と情熱にお応えし、私ども明主様の聖徒一同、自らがメシアの御名の教会の一員であるとの自覚をもって、天国の写しとしての「メシア聖堂」の建設に向けて一丸となって精一杯努めさせていただきましょう。
 そして、一人ひとりの内にメシア降誕を成し遂げるという祝福が、あらかじめ天国で成し遂げられたことに感謝し、その祝福が、イスラエルに結び連なる全人類とその父母先祖の方々に、そして、万物に分け与えられますようにと、吐く息吸う息、吸う息吐く息のうちにお仕えさせていただきましょう。
 そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。
 ありがとうございました。