9月4日、「三代教主十年祭 ご命日のご参拝」が世界メシア教本部で執り行われた。
節目の日を迎え、記者のまぶたにはかつて三代様がご巡教くださった際、間近に拝したそのお姿がありありと浮かび上がってきた。当時小学生だった記者にも三代様は温かくお優しい笑顔で握手をしてくださった。まだ信仰という言葉すら知らない当時の私ですら、何かは知らずその日手を洗うことができなかったものである。それは、三代様が神様に全身全霊でお仕えになっておられたからこそ、そのお姿を拝した瞬間、お手に触れた瞬間、真の親である神様を求める本能が揺さぶられていたからではなかろうかと、そんな思いが湧いてきた。
畏れ多くも今、私たちの信仰の営みが許されているのは、明主様にはじまる真の救いの道を二代様より受け継がれ、現四代教主様につないでくださった三代様あってこそ。この感謝の念を深く刻み、教主様、真明様のみもとで真っすぐにこの道を歩ませていただきたい。
【三代様聖言】
この教団のご神業の営み、ご経綸をゆがみなく進めていくために中心が必要なのでございます。それが教主の座であります。すべてのご神業の活動を統一するところの座、それが教主の座であり、それを中心にして運営が行なわれていくというところで、四代、五代、六代までも揺るぎのない、ご神業というものの継続があるわけでございます。それを力のないところに祭り上げていて、任期制のぐらつきやすい執行部が中心になって、聖地中心だと言って、どうしてそこに明主様の御守護が働くでありましょうか。
昭和60年11月16日