光のみことば 12

光のみことば 11

自分が浄まらねばならぬ必要性を感じるか否か  ...
光のみことば 12

光のみことば 10

〝余を真似よ〟   〔明主様〕現在の教団には真の信者は一人もない。余を真似よ。1954年7月11日 側近奉仕者の日記より   〔聖書〕神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。「エペソ人への手紙」第5章1節  ...
光のみことば 12

光のみことば 9

「きたりませ」 ──すべてを携えて、帰ります。  ...
光のみことば 12

光のみことば 8

〝世の救いのため、メシアである「あなた」が 「わたし」の中で出てくださいますように。現れてくださいますように。生まれてくださいますように〟...
光のみことば 12

光のみことば 7

真理と言うのは一つしかない   〔明主様〕 為郷氏明主様之はどんなものでしょうか、大分前から疑問に思って居りました事ですが、真理とか、正しい教えとか言うものは、世の中には一つしかないのではないでしょうか。 明主様無論そうです。真理と言うのは一つしかないのです。 1952年10月22日「為郷恒淳氏との御対談 一厘の神様のお仕組とは?」  ...
光のみことば 12

光のみことば 6

神となるか人となるか、選ぶのはあなた自身である   〔明主様〕 折角貴き人間と生れ乍ら、獣類に堕して生を終るという事は、何たる情ない事であろう。人間堕落すれば獣となり、向上すれば神となるというのは不変の真理で、全く人間とは「神と獣との中間である生物」である。此意味に於て真の文化人とは、獣性から脱却した人間であって、文化の進歩とは、獣性人間が神性人間に向上する事であると私は信ずるのである。従而、神性人間の集る所──それが地上天国でなくて何であろう。1948年9月5日「善と悪」  ...
光のみことば 12

光のみことば 5

不変の真理は存在する   〔明主様〕観音様は一番位の高い所から一番低い位へ落ちて、それから一番高い位へのぼられるのであります。1935年5月1日 御講話  ...
光のみことば 12

光のみことば 4

イスラエルの国籍を得たいか否か   〔聖言〕 キリストの贖罪は、万人の罪を一身に引受けて、償われたので、其大愛に対して感謝し礼拝し祈るのである。従而、今迄はそれでよかったのである。処がメシア教の信者になれば、その必要はなくなったのである。というのは最早キリストは再臨されたからである。之には深い神意があるが、何れ詳しく説くつもりである。1951年9月25日『地上天国』28号  ...
光のみことば 3

光のみことば 3

まず、喜ぶ   〔聖言〕 感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶとは正に真理だ。何となれば感謝の心は神に通じ不平の心は悪魔に通ずるからだ。此理によって常に感謝をしている人は自然幸福者となり常に不平不満や愚痴を言う人は不幸者になるのは事実だ。大本教のお筆先に曰く「喜べば喜び事が来るぞよ」とは正に至言である。1949年9月3日「人間は想念次第」  ...