明主様の御歌と聖言

明主様の御歌と聖言

祖霊大祭 2020年8月1日 御歌 幾千歳かかりて道を狂はせし曲津滅ぶる時は来ぬめり 如何ならむ非難譏りも来れかし吾には破邪の剣ありせば 村肝の生命の限り戦はんこの世滅ぼす曲のたくみと 聖言 御講話抜粋—正義について  私も昔から正義を維持するために随分戦って来たわけです。その代り不利な事もあります。裁判とかいろんな事も、正義を守らんがために強くやられる事も始終ありましたが、しかしやはり神様というのは正義で、正義を無くしたら神様というものとは縁が離れてしまうわけです。 昭和二十八年十二月五日  ...
教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- vol.3

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- vol.3

神は、有る 《明主様》 人間は神を認めて、神様が見通しだという事を知ればそれでよいのです。他の事は別に必要ないです。それが、ややこしい、“ああしろ、こうしろ”と言っているだけでは何んにもならないです。肝腎な「神が有る」という事を唱える人は本当にないのです。そういう事を言うのは救世(メシヤ)教だけなくらいでしょう。他の宗教でもそういう事は言っていませんから。 ( 1954年3月15日『御教え集』31号)   《教主様》...
明主様の御歌と聖言

明主様の御歌と聖言

七月度月次祭 2020年7月1日 御歌 救はれて恐るるものは世にあらじ神を力に進む此身は 曲人は弱きものなり諸々の罪に打克つ力なければ 神剣を打揮ひつつ仇雲を切払はんと手に吾唾する 聖言 善悪の戦い 昭和二十五年三月十八日...
明主様の御歌と聖言

明主様の御歌と聖言

地上天国祭 2020年6月15日 御歌 人の眼は偽り得ても神の眼は偽り得ぬと知る人の幸  よしやよし人の眼はかくすとて己が眼は隠すよしなき  人の皮着たる獣を吾救ひ真の人と作り替へなん   聖言 善と悪 昭和二十三年九月五日 世の中は善悪入り乱れ、種々の様相を表している。すなわち悲劇も喜劇も、不幸も幸福も、戦争も、平和も、その動機は善か悪かである。一体どうして善人もあれば悪人もあるのであろうか。この善悪のよって来るところの何か根本原因がなくてはならないと誰しも思うであろう。...
明主様と聖書 5

明主様と聖書 4

〔明主様〕 人によく思はれたしと願ふ人大方神を忘れ勝なる   〔聖書〕 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。 「ガラテヤ人への手紙」1章10節     『グローリー』No. 5, 2020/6月号掲載 出典:『口語訳聖書...
明主様の御歌と聖言

明主様の御歌と聖言

六月度月次祭 2020年6月1日 御歌 魂機張る命の主は己にあらで神の御(おん)手にあるを知れかし 曲神の手に握られし人間の命は神の御(み)手に復(か)へらむ 村肝の命賜ひし御恵を打忘れなば獣に等しき   聖言 科学の使命  昭和十一年五月十五日 人間が、人間を自由にする事は、出来得ないのである。それは同じレベルの存在である人間同志だからであって、若(も)し、人間を自由にするものがあるとすれば、それは人間ではない、人間以上の或物(あるもの)であって、超人間、又は、神と名付くべきものである。...
明主様と聖書 5

明主様と聖書 3

〔明主様〕 人の力いとど弱きを知りてより心に宿る神の生魂   〔聖書〕 主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 「コリント人への第二の手紙」第12章9節~10節     『グローリー』No. 4,...
教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- vol.2

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- vol.1

愛とは 《 明主様 》  愛にも神の愛と人間の愛とがある。すなわち神の愛は大乗愛であるから、無限に全人類を愛するが、人間愛は小乗愛であるから、自己愛や自分の仲間、自己の民族だけを愛するという限定的であるから結論は悪になる。この意味が分かったとしたら信者たるものは何事に対しても、大乗でゆかなければならないわけで、すなわち神の愛をしっかり胸に畳んでお取り次ぎすることで、必ず好結果をもたらすに決っている。 (1951年11月25日「大乗たれ」)   《 教主様 》...