教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 19

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 19

「『地上天国』とは霊肉共に歓喜に浸る天国人」   《 明主様 》 観音教団の主なる目的が地上天国建設というドエライ宣言で、気が小さい人は吃驚なさる事と思います。然し決して法螺でない事は請合います。此世知辛い地獄の如な娑婆世界に霊肉共に歓喜に浸り、天国の如き生活をしているわが団員であります。此天国人が段々殖え世界大になった時、それが地上天国でなくて何でありましょう。 容易い哉地上天国建設。1948年9月「地上天国」   《 教主様...
明主様と聖書 21

明主様と聖書 21

〔明主様〕 之等によってみても、神意は地上天国建設の第一歩として、その模型を造られるという事があまりに明かである。然し乍ら、模型ばかりではない、人間、個人が天国人とならなければならない。否、なり得る時期が来ているのである。勿論、家庭も天国化し、天国的生活者となるのである。それで初めて、大衆が苦しんでいる地獄から救い上げ得るのである。1949年10月5日「本教救いの特異性」   〔聖書〕...
明主様の御歌と聖言

明主様の御歌と聖言

十一月度月次祭 2021年11月1日 御歌 神知らぬ人の憐れさ世の終り来つるがまでの命にありせば 凡眼に映り得べしやいと尊き神の御姿現はれ給ふも 盲ほど儚なきものは世にあらじ近処の宝知る由もなく 大いなる神の力を見するとも哀れ盲の眼には映らじ 戦ひも病も貧も何かせむ神の力を受くる我身は *「盲」当時の時代背景と、明主様の遺された御歌の姿を尊重し、原文のままとしています。 聖言 春季大祭御講話(昭和28年3月23日)...
明主様と聖書 21

明主様と聖書 20

   Meishu-sama Buddha preached to us the importance of compassion and set forth the law of cause and effect; Christ showed us love and self-sacrifice; Confucius taught us the path of moral behavior; and Moses left us the commandments. They did this for the sake of...
明主様の御歌と聖言

明主様の聖言

世界メシア教 秋季大祭 2021年10月2日 聖言 本教救いの特異性 昭和24年10月5日 本教の使命は地獄で苦しんでいる人達を、天国へ救うので、それによって社会を天国化そうとするのである。此意味に於て、人を天国へ救うには、先ず自分が天国に上って天国人となり、大衆を救い上げるのである。つまり地獄から天国へ梯子をかけて、手を延して一段一段登らしてやるという訳である。之が今日迄の凡ゆる宗教と異る点で、それは寧ろ反対でさえある。...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 19

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 17

「明主様、苦しみは確かに救いだと認めます」   《明主様》 病気だとか苦しみだとかいろんな事がありますがね、それが救いなんですよ。要するに苦しみってのは救われる事ですよ。(1949年4月4日 御講話)  ...
明主様と聖書 21

明主様と聖書 19

〔明主様〕 今度は何処かと言うと、九州です。未だ時期が来ませんが、いずれ九州に地上天国が出来るのです。其次が支那に出来るのです。それからエルサレムです。あそこでお終いです。ですから西へ西へと行くわけです。エルサレムに地上天国が出来た時が、世界の地上天国の初めになるのです。それからが世界が統一されるのです。「御講話」1952年10月18日   〔聖書〕...
明主様の御歌と聖言

明主様の御歌と聖言

九月度月次祭 2021年9月1日 御歌 牢獄を己が作りて己が身を抛げ込む愚かな人の多かり いと小さき声きこゆるも大いなる言霊入らぬ人の耳かな 水晶の世界となれば如何ならん隠し事とて表はるるなり いとやすき神の真道をよそにしてなやみつづくる人の愚かさ 地獄への道も天国への道も選ぶがままのこの世なりける   聖言 観音信仰 (昭和二十四年四月二十日)...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 19

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 16

「悪人は片っ端からひねります」   《明主様》 斯ういう事をかくと、明主様は宗教家に似合わず、寔に無慈悲なように思うかも知れないが、神様からいうとそれでいいのである。本来神様の御心というものは、善は飽く迄も御助けになるが、悪は寸毫と雖も容赦されないのである。…という訳で私は世の中の悪人という悪人は、片ッ端からひねる方針にしている。之が生きた宗教家の在り方と思うからである。(1952年2月20日 悪人をひねる)  ...