明主様御歌・聖言・聖書

明主様御歌・聖言・聖書

世界メシア教 祖霊大祭 2022年8月7日   明主様御歌 吾は今有神論を振り翳し無神謬論打砕くなり   *謬論=誤った議論 神を恐れ正しき道を守る人つくるぞわれの使命なるらん 誤れる文明吾は立直し神の勲輝かせんとす 如何ならむ非難譏りも来れかし吾には破邪の剣ありせば 諸人の闇をさ迷ふ中にありて光の道を勇みゆく吾ら 奴羽玉の闇の夜路にゆきまどふ世人誘はむ光の道へ 無神論有神論を結ぶこそ真の文化の基なりける 抜きも差しもならぬ此世にメシア教出でずば未来は如何になるらむ 聖言 公明選挙について ⑵ 昭和28年4月8日...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 28

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 28

「メシア教信者よ、あなたがたは神人合一を成し遂げたか」   《 明主様 》 世界中黒雲がオッ被さって大暴風雨今や来たらんとする様相物凄しだ。すると、天の一角に光輝赫々栄光の雲に乗って、静かに天降らんとする神人がある。之が眼に映るもの、メシア教信者のみなりといったら、どうだ、嬉しいだろう。1951年3月7日「寸鉄」  ...
明主様と聖書 30

明主様と聖書 30

〔明主様〕 私は以前、仏蘭西の有名な近代哲学者である、彼のアンリ・ベルグソンに就てかいた事があるが今度再びかいてみたい心が起ったので筆をとったのである。というのは、よく私に対って、色々な事を訊いたり、又私の方から話す場合、其意味が簡単に判る人は洵に少ないのであって、事柄としては実に簡単で判りそうなものだが、仲々判らない。訊く人は相当の教養があり乍ら頷けないので、私は色々な例を挙げて、諄々しく並べてやっと判るのである。其都度思い出すのは、ベルグソンの哲学である。 何故、簡単な事がそれ程判らないかを考えてみると、斯ういう理由がある。それは...
明主様と聖書 30

明主様と聖書 29

〔聖書〕 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。「ルカによる福音書」第17章20節~21節   〔明主様〕私は天国は近づけりとは言わない。天国は已に来れりというのである。1952年8月20日「文明の創造 序文」   教会誌『グローリー』No. 30,...
明主様御歌・聖言・聖書

明主様御歌・聖言・聖書

七月度月次祭 2022年7月1日   明主様御歌 神人と唱ふる深き言の葉の謎はいよいよ吾証さなん 思ひきや賤の男子の現身に宿かり給ふ観音畏し ハレルヤの歓呼の声に輝いて降るメシアを仰ぐ嬉しさ ハレルヤの歓呼の渦の直中に静かに天降るメシアキリスト 吾こそは罪ある者を救はんと権威を有ちて世に降りける 弥果てに万人悉我膝に鰭伏す時のたのしまれぬる 只一人吾只一人主の神の任しを帯びて世ぞ救ふなる 人にして神にしありぬ神にして人にあらねば世ぞ救へまじ   聖言...
明主様御歌・聖言・聖書

明主様御歌・聖言・聖書

メシア降誕本祝典 2022年6月15日   明主様御歌 長き世の仮の文明打砕き真の文明打樹てんかも 過ぎし方振さけみれば八重葎(やえむぐら)茨の道をよくぞ越え来し 三千年の桃実るてふ此年に国も高天も御祝典(ことほぎ)のあり パリサイ人等悔い改めて額かん栄冠耀くメシアの御前に あな尊と天より降るキリストを祝ふハレルヤの声ぞいさまし 祝(ほ)ぎ歌に国中(くぬち)どよみて音高く天の御位にのぼらす日の御子 行手には光明見えて胸ぬちに希望の泉湧き出づるなり 聖言 昭和24年9、10月御光話...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 26

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 26

「祈る」   《 明主様 》 ──明主様側近奉仕者の記述より 1954年4月28日 毎日御浄霊を遊ばしているが、御手をかざされず、御想念で遊ばすのみである。今迄お喜びの御事はあっても、何か一抹真からのお喜びはあらせられなかった。今度はもう嬉しくて嬉しくて堪らない。今度の御浄化は特にキリスト教と関係がある。 之からは一切御言霊と御想念で自由に遊ばすのである。 之からはお詫びの時代ではない。悔改めの時代である。悔改めて想念でおわびすればお許しが戴けるのである。   1954年5月13日 「新しい浄霊を発見した」と仰せられる(想念)。...
明主様と聖書 28

明主様と聖書 28

〔明主様〕──1955年1月11日 明主様側近奉仕者の記述より メシアとならせらるる御苦労は実に大変なものであって、メシア様には何遍も自殺しようと思ったと御述懐遊ばされいし御由。メシア様の御修行遊ばし損ねたら、メシアとお成りになる事は出来ぬのであると、お傍の者申しいしとの事。  ...