明主様と聖書 33

明主様と聖書 33

〔明主様〕 それで、此の二大文明は、何処へ行くという事です、之が、此の観音会の使命になるのであります。此の二大文明は、最後に結ばれるのが、神定の経綸であります。結ばれる地点は、我が日本であり、結ぶ時が之れからなのであります、恰度、夫婦が出来るのであります、東洋というお婿さんと、西洋というお嫁さんと結婚するのであります、其の媒酌人が、観音様であります。そうして生れた児供、其の児供が、「真文明」人類待望の「理想世界」であり、地上天国、ミロクの世なのであります、此の結婚をさして、玉の如な児を生ませる、空前の大事業を、遂行する其の力が、即ち「...
明主様と聖書 33

明主様と聖書 32

〔明主様〕 斯うみてくると、今日迄は悪も大きな役割をして来た訳になる。といっても悪の期間は無限ではなく限度がある。それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言えば絶対者とそうして宇宙意志である。即ちキリストが予言された世界の終末であり、そうして次に来るべき時代こそ、人類待望の天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界、ミロクの世等名は異るが意味は一つで、帰する処善の勝った世界である。此様な素晴しい世界を作るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の揃う事である。処が神は其順序と...
明主様と聖書 33

明主様と聖書 31

〔明主様〕彼の釈尊の唱えた苦の娑婆の時機は最早終ったのである。此事の真諦が判ったとしたら、その歓喜は人類の経験にない程絶大なものがあろう。1949年10月5日「本教救いの特異性」   誰が眼にも映らぬ程のひそけさに神の仕組は已に成りけり いつまでも闇の世なりと油断すな光は已に雲破りけり 長き世の暗の帳りもひそやかに明け放れけり神の光に 夜の終り来つるも知らで夢醒めぬ人こそ世にも哀れなりける はや已に常暗の夜の過ぎけるを知らで迷へる小羊あはれ 悪の世は早過ぎにけり善の世は眼に見えねども生れつつあるも...
明主様と聖書 33

明主様と聖書 30

〔明主様〕 私は以前、仏蘭西の有名な近代哲学者である、彼のアンリ・ベルグソンに就てかいた事があるが今度再びかいてみたい心が起ったので筆をとったのである。というのは、よく私に対って、色々な事を訊いたり、又私の方から話す場合、其意味が簡単に判る人は洵に少ないのであって、事柄としては実に簡単で判りそうなものだが、仲々判らない。訊く人は相当の教養があり乍ら頷けないので、私は色々な例を挙げて、諄々しく並べてやっと判るのである。其都度思い出すのは、ベルグソンの哲学である。 何故、簡単な事がそれ程判らないかを考えてみると、斯ういう理由がある。それは...
明主様と聖書 33

明主様と聖書 29

〔聖書〕 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。「ルカによる福音書」第17章20節~21節   〔明主様〕私は天国は近づけりとは言わない。天国は已に来れりというのである。1952年8月20日「文明の創造 序文」   教会誌『グローリー』No. 30,...
明主様と聖書 28

明主様と聖書 28

〔明主様〕──1955年1月11日 明主様側近奉仕者の記述より メシアとならせらるる御苦労は実に大変なものであって、メシア様には何遍も自殺しようと思ったと御述懐遊ばされいし御由。メシア様の御修行遊ばし損ねたら、メシアとお成りになる事は出来ぬのであると、お傍の者申しいしとの事。  ...
明主様と聖書 28

明主様と聖書 27

〔明主様〕 愛にも神の愛と人間の愛とがある。即ち神の愛は大乗愛であるから、無限に全人類を愛するが、人間愛は小乗愛であるから、自己愛や自分の仲間、自己の民族だけを愛するという限定的であるから結論は悪になる。 1951年11月25日「大乗たれ」  ...
明主様と聖書 28

明主様と聖書 26

〔明主様〕 最後の審判が済むや、続いて新世界設計の順序となるのは勿論だが、其転換期に於ける凡ゆる文化の建直しこそ、空前絶後のものであって、言う迄もなくそれは旧文明の誤謬の是正と共に、新文明の指針を示すのである。処が茲に悲しむべき事がある。というのは人類が数千年の長い間に堆積された処の罪穢であって、当然此大浄化作用が発生するのである。それを之から詳しく説いてみるが、幸い之を読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何等の躊躇なく掴まれん事である。それを前以て人類に知らせ、悔改めを私は神に代って勧告するのである。之ぞ神の大愛でなく...
明主様と聖書 28

明主様と聖書 25

〔明主様〕 多くの人は絶えず邪念に冒され、魂が曇り、心の盲となっている為見えないのである。これに就いて私は長い間凡ゆる人間の運不運について注意してみていると、それに間違いない事がよく分る。では正義感の不足の根本は何かというと、即ち眼には見えないが、霊の世界というものが立派に存在しているのである。そうしてその霊界には神の律法というものがあって、人間の法律とは異い厳正公平、聊かの依怙もなく人間の行為を裁いているのである。処が情ない哉人間にはそれが分らない為と、又聞いても信じられない為とで、不知不識不幸の原因を自ら作っているのである。 そん...
明主様と聖書 28

明主様と聖書 24

〔明主様〕 抑々本教が出現したという意味を判り易くいえば斯ういう事である。例えば大きな池があるとする。勿論、濁った水が満々と溢れている。それへ向って明礬(みょうばん)を投げ込む。そうすると明礬が溶けるに従って池の濁水は漸次澄んでゆく、それと同様である。 吾等が常に言う処の夜の世界が永く続いた結果、人間社会は曇りに曇り、汚れに穢れ、神様から観れば足の踏み処もないようになって了った。それが実相である。そこへ忽然と表われたのが光の本教である。 処が、さんざ世を紊し、人間を自由に操っていた邪神の驚愕は一方ではない。夢にも思わなかった神の光が表...