教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 14

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 14

「明主様、あなたとイエスには絶対に霊的連携があります」   《明主様》 余を以てキリストと比較検討された事は近来の快事というべきである。之に対し余は謙遜的否定もせず、自讃的肯定もせず、只時の判定に委すのみである。 兎に角、キリストは天国は近づけりといい、余は天国を樹立するというにみて、そこに二千年の時を矩って、何等かの霊的連繋ある事は否定出来ないであろう。(1950年1月25日 序文 基督と自観師)  ...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 14

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 13

「私たちは、神様と宗教を隠しません。」   《明主様》 私の口から言うのは可笑しいですが、終戦迄は宗教的な事は何にも出来なかったのです。日本浄化療法という民間療法で漸く仕事をしていたわけです。それが終戦になった為に信教の自由が許されるという様なわけで、宗教的な運動も出来る様になり、今日の様に発展し、〝アメリカを救う〟という本も出せる様になった(1952年10月20日 御講話)  ...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

「貫く」   《明主様》  正義を貫き通すという事で、そこが偉いのです。…何故と言って、正義というのは神様が擁護するからです。如何にしても、結局失敗してしまいます。ですから私が今までいろいろ闘ったり酷い目に遭ったが、正義を守って一歩も退かないから、結局だんだん勝ってゆくのです。ところが正義というのは、一時悲惨な目に遭うから都合が悪いのです。丁度人間と同じで、熱冷しをのむと一時冷めるから、一時は良いようなものです。ところが本当の事を貫くという事は最後の勝利であるという事が分るのです。 (1953年11月25日 御講話)...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- 10

一神にして多神   《明主様》  之から神に就ての説明をしてみるが、単に神と言っても、実は上中下の階級があり、千差万別の役目がある。神道にては八百万あるというが、全く其通りで、今日迄神といえば、キリスト教的一神教と、神道的多神教のどちらかであった。併し両方共偏った見方で、実は独一真神が分霊して多神となるのであるから、一神にして多神であるというのが本当である。 (1950年11月20日「本教の誕生」)   《教主様》...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- 9

愛と平和は天国から   《明主様》体主霊従の総ては、永遠の存在は不可能であって、霊主体従の道は、永遠に繁栄するものである。それは、体主霊従は罪悪と闘争を生み、霊主体従は、愛と平和を生むからである。 (1936年5月15日『明日の医術』「日本式医術」)   《教主様》...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- 7

天地が崩れても、できる 《明主様》 天地が崩れても出来る。邪魔しようと何しようと大光明世界は出来る。そして全世界は統一される。人類始って以来ない結構な事になる。それが何百年、何千年先の事ではない。…只今から世界は一歩々々そうなって行く。その時はすべてが非常に結構な事になる。皆が一生懸命になろうとなるまいと出来る。ただ一生懸命にならぬと置去りにされる。代りはいくらでもある。(1935年11月11日「玉川郷秋季大祭御講話」)  ...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- 6

明主様とイエスは一つ 問 私の娘はミッションスクールに行って居るのでございますが……。 明主様 ええ、いいじゃないですか。 問 学校ではキリストを拝み、家に帰ると観音様を拝む事が何だか……。 明主様 キリストも観音様も同じことですよ。キリストは西洋の観音様、観音様は東洋のキリストです。だから、あんたの娘さんが洋服を着たり、和服を着たりするのと同じだと思えばいいんです。(1949年3月13日『御光話録』5号)   《教主様》...
教主様と真明様 ── 明主様のみ心をお受けして ── 11

教主様と真明様 -明主様のみ心をお受けして- 5

まず、天国に 《明主様》 今までの宗教は教祖が地獄に堕ちて苦しみ乍ら、人を押し上げて救うのであるが、私はその反対に自分が先ず天国に上り、不幸な人を引張り上げて救うのであって、信者にしてもその通りである。というのは天国的宗教であるからで、この様な劃期的宗教は初めて生まれたものであって、これがため以前はよく誤解されたものだが、今日は大分判って来たようで、私は満足に思っている。 (1953年12月9日「私の文章とその他」)   《教主様》...